毒矢じゃなかったかも
十月になりました 相変わらず自分に向いている矢の所在確認をしている能勢です。
前回の投稿でも書いたのですがこの毒矢と思しき存在 見つけたその矢は相変わらず抱きしめたいほどキュートなのです。ここにいたんだね~!(お~よしよし)となります。なんでだろうか。
この一ヶ月はことあるごとに考えていました。毒矢なのになぜかわいいのか~。
毒付き弓矢をかわいいと思える考えは私にはありません。なので余計にわかりません。
ある時 そうか!毒矢じゃなかったのか。という考えに至りました。
毒矢と思い込んでいたけれど、、、。
そういえば同僚のあゆみさんは毒矢という表現はしていなかったな。矢印と言っていただけだったか。それを勝手に毒矢に変換したのは私だったのかも。
じゃあなんだ?
どうもこのかわいい存在がつんつんやっているというだけかも?と思えてきました。
ずっとここにいるよ 気づいてよ~!ここだよ!ここにいるよ。私の中の小さな存在がつんつんと私の脇腹あたりを指でつついて気づいてよ~って言っている?
それがなんでか私には毒矢に思えたんだな。つまり刺さっていると思っていたのは小さいかわいい存在がつんつんしているだけだったかも ねえねえ 見てよ~気づいてよ~と
かくれんぼしていた子がそっと後ろからやってきて つんつん!はやく見つけてよ~とやってきたときのような なんだそこにいたの~!と、そっと抱きしめたくなるようなそんな実感をともなったような。
それがなんで毒矢になってしまったのか。
見つけるのが遅くなってしまったからでしょうか。その子も待ちくたびれて拗ねてしまったのかも。窮屈な場所で居心地悪く過ごしていたのかもしれない。本当はあの手この手でみつけてほしくてサインをだしてくれていたのかも。それにずっと気づかずに見つけようともせずに 他事ばかりして 本当にやるべきことはこの子をまず見つけてあげることだったのかも なんて 今、思います
なぜなら この子をみつける作業をしていたこの一ヶ月 明らかに夫へのダメ出しが減り、
夫への突っ込みも減りました。心の中でのダメ出し、突っ込みも減ったのです。
そして肩こりも減りました。便秘が今や快腸。なんだろう。
院長に尋ねると そりゃ体が緩まったからだわな。とあっさり。むむ。私がこの一ヶ月、いやこの夏を通して取り組んできたことを簡単にいってくれるじゃない。
でも実際にはきっとそう 体が緩まったということ。
私の中に小さい私は窮屈だったのだと思います。気づいてほしいわ 気づいてもらえないわ 緊張の中にいたのだろうと思います。 私が自分へのダメ出しに少しずつ気づいていく それは体の緩みにつながった? 心の緩みに繋がっていったということでしょうか?
また うっかり長くなってしまいました
実際にはまだよくわかっていないこともたくさんあるのですがなんだか緩んでいるのです。
毒矢じゃなかった かわいい存在のつんつんやったというのが最近の実感です
夫婦円満 家内安全の道は道半ば まだまだ続きます。