散歩にて

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こんにちは 整体院ふくろうの森 受付担当の能勢です 

今日もここふくろうの森にいて感じたことを綴っていこうと思います

今日 ふくろうの森に行く前、息子を保育園に送って行ったのですが、最近の彼のブームは歩いて保育園にいくこと。徒歩でだいたい15分くらいのところに保育園はあるので散歩がてらに朝、歩いていこうということになりました。15分ほどと言いましたが子どもの足と興味と一緒だと片道30分ほどかかります。どんぐりを見つけては立ち止まり、きれいに色づいた葉っぱを見つけてはもっとないかと周りをぐるぐる。なんてやっているのでなかなか到着しないはずです。今日もそんな感じで道路わきの側溝で立ち止まっています。

 

“はぱだまりだ”

 

ん?はぱだまり?なんのことかと思って私もそこに戻って息子の言う先をみると落葉がたくさん集まって小さい側溝の水の流れを遮っていました。“葉っぱだね~”というと“はぱだまりやで!”と水たまりみたいにいうので面白くって 本人も語呂が良い感じで気に入っている様子でした。さてその“はぱだまり”を見ていると 葉っぱが上流から流れてきてはまたここにたまっていきます。流れはこのたまり場でだいぶせき止められています。 目の前のこの“はぱだまり”がなんだかふくろうの森で普段 話している気の流れのこととリンクしてきました(気の流れも血の流れも水の流れもそうですね) こうやってたまっていってなにかの因子がもとで詰まっていくんだよな~ 体も側溝も実は構造は一緒だったりしてね~ なんて。

 

そうこうしている間に息子がこの葉っぱたちをつんつんと指でさしています。すると葉っぱたちの集まりがほぐれて 一枚ずつまた流れだしました。 

 

あ 流れた。する~と流れていく葉っぱ。

 

それを眺めているのが気持ちよくて あ またほどけて 流れた。と しばし行方を目で追ってしまいます。

息子も気をよくしてもっとやれい!とツンツンしています そんなことをしているからなかなか保育園にたどり着かないのですが これを眺めているだけでふっと気持ちのつかえが抜けたような気持になりました。

 

滞ることに罪はない。これは自然現象なのだな。という感覚が沸いてきました。そして滞ったならまた流せばいい それくらいの気楽さでいたらいいのだな~とも。

 

一度調子が悪くなると

体の使い方が悪い、

生活が不摂生だ、

自律神経が乱れている?整えよう!

暮らしを見直して!どこがいけなかった?

なんてつい頭でっかちになってしまいそうになります 

 

もちろん暮らしのリズム、体の使い方の癖、などなど見直してみたらいいこともたくさんあると思うのですが そうしよう!としてうまくいったら万歳!ですが、そううまくいかないのもまた人間。そしてそんな人間らしさもまたよいじゃないか とも最近は思います。

 

気楽でいること 子どもとの散歩のような登園でふとみた側溝の葉っぱたちに教えてもらったこと。滞ったならまた流れていけばいい。そんな簡単なものじゃないかもしれないけれど、少しお気楽なぐらいがちょうどよいのかな なんて思った今日でした。